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鎌倉の仏像がちょっと気になっています。

多気の山奥にある近長谷寺で十一面観音立像ご開帳-腰の曲がった87歳女性も山登り – 伊勢志摩経済新聞

多気の山奥にある近長谷寺で十一面観音立像ご開帳-腰の曲がった87歳女性も山登り
伊勢志摩経済新聞
真言宗山階派の同寺には国の重要文化財の指定を受ける像高6.6メートルの「木造十一面観音立像」があり、「仏像マニア」も訪れる。伊勢の豪族「飯高宿禰(すくね)諸氏」が、第58代光孝天皇の勅願所として建立。奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺とともに「日本三観音」の一つとして …

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Q身延の地頭・波木井実長の謗法行為① 釈迦如来仏像の造立。② 箱根・伊豆山の両権現と三島明神への参詣。③ 南部の郷内の念仏福士の塔の供養。④ 九品念仏の道場建立、によって身延離山をした日興上人を開祖、南条時 光を開祖旦那、とする「富士市(吉原市)依田原 字 大石寺」はかっての大石寺があったところでしょうか、南條殿は北条家直属の家臣得宗被官の二所の権現・三島明神・鶴岡八幡宮への参詣等は、将軍・執権の「「公事」(公務)、寺社代参もした、法義に従えば(謗法)になる。厳格をもってなる日興上人は見てみぬふりをしたのか、南部(波木井氏)と同じ鎌倉御家人とは言っても、北条執権家の「得宗被官。謗法も比べ物にはならない。五老僧はともかく富木日常・大田常明・四条金吾・池上兄弟等の有力檀那、は侍、日興上人の意向に従えたのだろうか。貞永式目から見れば寺社参拝は侍の仕事のうち、『時の法主への心服随従』なんて訳にはいかないと思いますがどうでしょう。大石寺は二度の火災により、「曼荼羅正意」を宗旨とする富士門流は江戸時代に事実上壊滅した。釈迦佛像造立の新大石寺と別ですね。
A大石ヶ原・大石寺を寄進した南条時光だが、一連の謗法行為は、地頭として避けて通れない道で、興祖も細々諸注意をされながら、状況に応じた指導をされたと拝される。それよりも、道師以降、何人も南条家出身の法主が出たのが気になる。この南条家法主の世襲が、石山を腐らせた根本では無かろうか?
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炭素14の測定について その2
炭素14によって仏像などを測定する場合、室町中期に造られたものか。 鎌倉時代のものかという判別はできますか。

仏像ファン的古寺巡礼 佛乗院(神奈川)・鎌倉期の阿弥陀如来
こちらの御本尊は阿弥陀如来。 繊細な指で来迎印を結ぶ、鎌倉期の美仏です。 像高は1m前後でしょうか。 低めの頭髪部や強い曲線を描く髪際、複雑な衣文など、宋風様式が顕著なことから、鎌倉後期の作と推定されています。 胎内には、宝永2年(1705年)と …

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